1995.12 巣鴨学園で実施した、いわき化石見学旅行の配付資料に書いた文章から。
いわきの地質

 東京から北北東に約200km、太平洋に面した福島県の南部にいわき市は位置す る。いわき市周辺は戦後の一時期常磐炭田の中心地として栄えた土地だが、エ ネルギー需要が石炭から石油へと転換されるにつれて、各所にあった炭坑は次 第に閉山していった。かつての石炭産業の記録はいわき市湯本にある、いわき 市石炭化石館の展示などに残されており、そこで我々はその石炭産業の姿と、 そこに関わった人々の民俗のあらましを知ることができる。

 いわき市内を歩いていると、非常に平らな土地が多いことに気づく。一方で 市街地をとりまくように700m級の山並みが尾根を連ねていて、どうやらこ れらの山々から供給された土砂が海を埋め立てて、この平地をつくったのだろ うと推察される。
 これは特に白亜紀層の分布する四倉や久の浜、大久川流域など同市北部から 浜通り地方一帯にかけての特徴なのだが、非常に松林が目立つ。その土を調べ るとやはり花崗岩起源の砂が主成分であるようだ。花崗岩地帯には松が生えて いることが多い。白砂青松という言葉があるが、“白い砂”は花崗岩が風化し てできた石英質の砂のことを指している。その典型である瀬戸内海は領家帯の 花崗岩地帯である。どうやら花崗岩質の砂地の土地には、アカマツやクロマツ のような樹種が適しているらしい。*1
 ところで花崗岩が風化すると、何ができるかというとこれが面白い。花崗岩 が風化して石英質の白い砂ができると書いたが、花崗岩は石英以外に正長石や 斜長石、黒雲母といった鉱物が集まってできている。これらの成分はどこへい ったかというと、砂ではなく分解して別の鉱物に変化して粘土質のものとして 移動するのである。特に花崗岩の長石類が分解してできる、カオリンという粘 土鉱物は焼き物の原料として重要である。
 愛知県に瀬戸という地名があるが、陶器のことを瀬戸物とも呼ぶように、そ こは焼き物の原料になる陶土の産地として昔から有名なところである。ここに は第三紀中新世の地層の中に花崗岩が風化してできた砂とともに、カオリンと いう粘土鉱物を中心とする粘土が大量にたまっている。これは上流域に分布す る白亜紀から第三紀初頭に固まった花崗岩類が、その時代に地表に露出し、風 化して運ばれてきたものが、たまたまその位置に地形的なへこみがあったため に安定して堆積したものである。第三紀中新世の日本列島の位置は、現在とさ ほど変わらない緯度にあったと考えられている。この時代は世界的に現在より 温暖な気候にあって、そのため風化が急速に進行し、大量の風化物が供給され たものと考えられている。(鉱物の化学的風化による分解速度は温度の関数なの である。)

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*1実は戦争中や戦後に、燃料用として人里に近い森林はほとんど伐採されてし まい、あらたな生態遷移が始まったために松林が多いのだ、という説明もある。

 いわき市を含む福島県の浜通り地方から茨城県の北部の常磐炭田分布域にか けては、日本のような土地の隆起や侵食、火山噴火や地震の多い、変動の激し い国土の中では珍しく地殻変動の穏やかなところである。火山は磐梯山のあた りまで行かないと見られないし、阿武隈山地はなだらかで、活断層も知られて いない。海岸は遠浅でリアス式海岸もなく、海岸段丘もほとんど見られない。 日本海溝沿いに多少地震はあるものの、規模の大きい地震はなく震源も深いの で被害は少ない。津波もあまりおきない。日本の他の地域と比較すると非常に 安定した土地であるといえる。
 日本で見られる古第三紀以前の地層は断層や褶曲でクシャクシャ、ずたずた に切られて分布するのが普通である。これは日本列島の生い立ち、あるいはプ レートの収束境界というその位置に原因がある。ところがいわき地方の中生代 白亜紀以降の地層は、阿武隈山地の花崗岩や変成岩を主とする堅い岩石の上 に、東にやや傾斜した単斜構造を示して、古いものから順番に並んで分布して いる。
 いわき市と言えば、中生代白亜紀の地層から海棲爬虫類や恐竜を含む、多く の化石の産出が知られている。有名なのはフタバスズキリュウ(クビナガリュウ の一種)だが、最近では多種多様な化石の産出が相次いでいる。本州では最大の アンモナイトをはじめ、多くの海棲爬虫類(フタバスズキリュウが有名)、少量 ながらハドロサウルス類などの恐竜の化石も出ている。
 日本には中生代ジュラ紀〜白亜紀(約2億年前から6500万年前)の地層 は、西南日本の外帯を中心に広く分布しているのだが、そこではこのような化 石はほとんど見られない。例えば奥多摩町の奥多摩湖や小河内ダムのあたりは その時代の地層でできているが、深海の堆積物でこれまで大型(肉眼サイズ)の 化石はほとんど報告されていない。どうしてこのように保存の良い化石がここ いわき地方ではたくさん産出するのか、不思議に思えるのだが、それには理由 がある。
 実は日本のジュラ紀から白亜紀の地層の大部分を占める地層−秩父層群、小 仏層群、四万十層群などの地層は、沈み込み帯の前縁の海の、かなり深いとこ ろに運び込まれた土砂がたまってできた地層なのだ。従って浅い海に多い化石 になりやすい生物はめったに残らない。深海では二枚貝やアンモナイトの殻を つくる炭酸カルシウムは海水に溶けやすくなっているし、深海に運び込まれる 土砂の勢いで壊されてしまうかも知れない。日本のような変動帯の地層には、 化石は基本的に残りにくいのだ。
 これに対して、大陸地殻のしっかりした基盤の上に堆積した地層が、日本に もごくわずかに分布している。福井県や石川県、岐阜県にかけて分布する手取 層群は有名だ。飛騨片麻岩などの古い地殻でできた土台がしっかりしているの で、浅い海でたまった地層が安定して保存され、現在露出している。ジュラ紀 から白亜紀にかけての湖〜浅海の堆積物に、保存の良い化石が多数見いだされ ている。最近では福井県勝山市などで、恐竜の骨や歯の化石とともに、多くの 足跡化石も報告されている。この続きと思われる地層は韓国にも分布してい て、慶尚層群とよばれるものがそうだ。
 そしてもうひとつの例外ともいえるものが、ここ阿武隈山地に分布している のである。

柱状図に表されるもの −情報の蓄積と削剥

 地層や岩石が露出している場所、例えば山の斜面や道路の切り割り、川床や 沢沿いの斜面など、を一般に露頭と呼ぶ。露頭の情報を詳しくまた数多く読み とり、それを組み立てることで伝統的な野外地質学という学問が成立する。そ の意味では野外地質学は独特の自然科学のセンスを必要とし、本当に眼前にあ る露頭の情報を読み解き、理解するためには高度な技術が要求される。
 ある露頭に、ある地層の断面が露出しているとする。科学者はそこから何ら かの情報を取り出していこうと試みるわけだが、地層の重なりを表現するのに 柱状図が用いられることが多い。これは目的に応じて様々なスケールで作成さ れ、ひとつの露頭で作成できる場合もあれば、ある地域の露頭をくまなく調べ て、やっとまとめられるような大規模な場合もある。後者の場合は、ある程度 情報を整理して代表的なことだけに絞り込むので、普通は模式柱状図と呼ばれ る。
 いうれにしろ柱状図はある空間スケールに分布する地層の構成要素の特徴と、 それらの重なり具合を理想化して表現したものである。従ってそのスケールが 小さければ、露頭から取り出した地層の破片だけで作れる場合もあるし、逆に 地殻断面のようなとてつもないものが、地図や航空写真、衛星写真を駆使して 作れる場合もある。アラビア半島南部のオマーンには、数十kmの幅で海洋地 殻が緩い傾斜で陸上にのし上がって分布するところがあり、衛星写真で見ると、 海洋地殻の内部構造がはっきりと見えてしまうのである。
 一般的に地層が形成されるということは、ある期間にわたって砕屑粒子なり 生物遺体なりの堆積が進行し、それが削剥、分解されきらずに保存された、 ということである。回りくどい言い方をしたが、地層というのは、多くの場合、 ある瞬間の堆積イベントと、長い堆積の中断期間なり、あるいは堆積物を取り 去るようなイベントの繰り返しでできたものである。持続的に堆積が進行し、 しかもそれが乱されずに残るのは、非常に静穏な環境−例えば深海や堆積物の 流入の多い湖沼のような−の場合に限られ、地層一般から見ると例外的なもの である。
 多くの場合、地層の中に記録されているものは、地質時代の中でのほんの一 瞬のイベントに過ぎない。嵐のあとに流入してきた土砂が地層のある単層をつ くり、それとともに化石が保存されたりする。二枚貝の化石がその生活の姿勢 のまま、乱されずに地層の中に見いだされる場合があり、これは化石の産状と して自生という言葉で表現されるのだが、そこには二枚貝が死ぬ瞬間のイベン トを記録しているのかも知れない。

 情報の欠落こそが重要な意味を持っている場合もある。地層の大規模な不整 合というのは、海水準の世界的な変動を表していたり、その地域のテクトニッ クな応力場の変化を表す−例えばプレートの運動方向が変わる−と考えられる ものが知られている。不整合に限らず、地層と地層の隙間には、気の遠くなる ような長い時間が挟み込まれているのである。
 地層そのものではないが、欠落した部分から推理を組み立てる面白い一例を 挙げよう。北米の第四紀のタール沼(天然の不純な石油の湧いているところ)の 地層から、あるとき大量のシカの化石(タール漬けの骨)が見つかった。たくさ んの化石資料が得られたので、研究者は喜んで、シカの成長過程のいろいろ段 階の標本が得られるものと思ってわくわくして調べていた。ところが出てくる 骨はみな生後半年、1年半、2年半という1年刻みの年齢差をもつものばかり であることがわかった。1歳ちょうどの個体はタール沼では見つからないので ある。どうしてだろうか?
 この事実は現在ではこう解釈されている。化石として出てくる量の多さから 考えても、シカはおそらく集団で行動していただろう。実際に現在の野生のト ナカイは集団で行動する。そうすると、集団が季節移動していて、たまたまタ ール沼のある地域はその移動コースの途中に位置していた。しかもちょうどシ カの出産時期(春?)から半年後に通過する地域だったと考えてはどうだろう。 群は毎年同じ時期にそこを通り、シカの出産時期も毎年同じだから、先述のよ うなことが起こりうる。ちなみにそのタールの地層からは、シカを追い立てて 死に至らしめた、犯人と思われるオオカミやサーベルキャットの骨も見つかっ ている。

新しい地球観

 1960年代からの固体地球科学の大きな進歩は、地球の表面の地質学的現 象を、その表層部の水平移動を基調として理解・認識することにあった。その 行き着いた雑多な認識を総合した体系が、今日プレート・テクトニクスと呼ば れているものである。
 この間のいくつかの重要な発見の一つは、地球表面の7割を占める海洋地域 の地殻には2億年前より古いものが見つからない、という事実である。古い海 の地殻は大西洋の両岸(ただし大量の砂や泥の堆積物で埋まっていてよくわか らない)や、太平洋では日本海溝の沖合いの太平洋などにあることが知られて いるが、地質時代では中生代ジュラ紀、1億4000万年程度のものがせいぜいである。 驚くべきことに、三葉虫の生きていた時代の海底は、現在の海の底には全く見いだされていないのである。 一方、陸上では40億年前の放射年代*2を示す岩石や鉱物が見いだされている。 大陸を構成する岩石の平均年齢(マントルからの分離年代)は20億年前後であることも、 いろいろな方法で確認されている。これは地殻の平均化学組成を求めようとする試みに関連がある。

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*2岩石中にはウラン238・235(238U,235U)やトリウム232(232Th)、 あるいはルビジウム87といった放射性同位体が少量(数ppm程度)含まれる。 これらの放射性同位体は放射壊変の割合(確率)が決まっていて、 ウラン235の場合は約7億年で半分が娘同位体である鉛207に変化する。この性質をうまく利用することで、 放射性同位体を岩石ができてからの経過時間を計る、”時計”として用いることができる。 例えばウランはたくさんあるが鉛の含まれないある鉱物の中の、 ウラン235と鉛207の量を測れば、鉱物ができてからの経過時間が計算できることになる。

地層の来歴

 陸上で見られる地層はたいがい海でつくられるものだという説明をしたが、 逆の見方をするならば、海の地層が海にあり続けることの方が地球では難しい のである。
 海の底で堆積物が積み重なってつくられた地層は、最終的に大陸地殻に押し つけられるか、運が悪ければ沈み込むプレートとともに地下深く、マントルの 中へと持ち込まれてしまう。それは惑星・地球が生きていて、その表面が平均 年間数cmというゆっくりした速度ながら、つねに動き続けていることに原因 がある。
 地層は多くの場合水中でつくられる。それはなぜかというと、砂や泥は流水 や風のはたらきで、より低いところへ、低いところへと運ばれるわけで、くぼ 地のようなところがあればそこで安定してたまることになる*3。ところで地球 上のではまわりより低いところには水がたまっているのである。そのほとんど が海であるのは言うまでもない。
 保存の良い恐竜の化石が、まるまる1体分出るようなところは、陸成層が広 く分布する場合がほとんどである。モンゴルの場合は陸上につもった砂の地層 (砂漠に近かったらしい)からたくさん産出があり、アメリカのモンタナ州やワ イオミング州などは河口の三角州のような場所で堆積した地層から出ているら しい。このように陸上あるいは河川で堆積した地層というのは大陸内部に限ら れていて、地球上の地層全体から見ればごく例外的なものと言っていい。
 地層が露出している場合、それはほとんど海の中でできたものであるのであ り、「大昔この土地は海の底だった」と考えるのは実は根本的に間違ってい る。我々が生活しているこの陸地そのものが海と密接な関わりをもって成立し ているからだ。地学では考古学や史学のように、・・時代のいわき地方、とい うような概念が成立しない場合がある。人間や人間の歴史の時間スケールでは 不動に見えるだけで、陸地などと言うのは変幻自在の存在であるとさえ言える。

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*3まわりより高い位置にある物体の位置エネルギーは、きっかけさえあればそ の位置エネルギーを運動エネルギーに置き換えて、より低いところに転がって いこうとする。一方、最初から低いところにある物体を高いところに持ち上げ るには、位置エネルギーに相当する分の運動エネルギーを与えてやらねばなら ない。だから低いところにある砂や泥は安定でその場にとどまろうとするのに 対し、高い位置にある砂や泥は不安定で、水の流れに乗って低いところへ移動 したがるわけだ。雲仙で土石流が起きるのも、雲仙火山が吐き出した溶岩の塊 や火山灰が、山体の高い位置にごろごろしているのがいけないのであって、大 雨が降るとそれらを低いところへ移動させるきっかけができる・・・それが土 石流になるわけだ。

ヒマラヤの山中でアンモナイトの化石が見つかること

 古生代後期にはパンゲアという、世界中の大陸地殻が集合した超大陸ができ ていた。それが北側のローレンシア大陸と南側のゴンドワナ大陸に分かれ、さ らに三畳紀(トリアス紀)の終わり頃(約2億年前)からゴンドワナ大陸が分裂し て、現在の南アメリカ、アフリカ、マダガスカル、南極大陸、スリランカ、イ ンド、オーストラリアなどができたわけである。インドシナ半島からヒマラヤ、 カラコルムを通ってイラン北部、トルコ、そしてアルプスへと延びる山脈は、 ゴンドワナ大陸をつくっていた要素が、北側のユーラシア側に再衝突している 場所なのである。
 衝突する前はどうなっていたのかというと、その間には中生代を通じてかな りの広がりを持つ、テチス海と呼ばれる海が広がっていたらしい。その海にた まった堆積物や海の地殻そのものが、ヒマラヤやアルプスの山脈をつくってい る大半の岩石の材料になっているのである。
 チョモランマ(エベレスト)の山腹に見られるイエローバンドはテチス海にた まった石灰岩であることが知られている。8000m近い標高のところである。 そのような高度に海があって石灰岩をつくったのだとは考えにくく、海水準以 下のところにあった海の地層が、持ち上げられてそこにあると考えられる。

 ところで山はなぜ険しいかというと、山は単に地形的ななだらかな高まりと いうのではなく、降水量にもよるが、谷によって刻まれて急峻な地形をつくる からである。逆に言えば谷の削り残しが山であるというのに過ぎない。ヒマラ ヤでアンモナイトの化石がとれたり、石灰岩が露出しているという話をしたが、 それは今まさに山々をつくる岩石が水の働きで壊され、削られてまた下流へ、 そして海へと運ばれていく途中の姿を見ていることになる。ヒマラヤの山々も 年々削られてやせ細っていくはずである。インドの大河、ガンジス川やインダ ス川はいつも濁った水を満々とたたえているが、これはそうやって削られた、 ヒマラヤの岩石のなれの果てが、水に混じって大量に運ばれているからなので ある。

 ごく単純に考えて、山の高度が高く、したがって谷が深く、川の流れが急な ところでは侵食の速度も速くなる。だから大規模な山脈が長期間ある場所に存 在するためには、実は侵食に見合うだけの隆起がそこで継続しなくてはならな いことになるのだ。ヒマラヤの場合の隆起原因は、インド亜大陸がユーラシア の下にもぐり込もうとしているからだと考えられている。実際、地震波による 観測では、ヒマラヤからその北方のチベット高原にかけて、大陸地殻の厚みが 通常の倍の60km程度あることがわかっていて、これら2つの大陸地殻が重 なっているためであるとする解釈がある。

 海のものとも山のものともつかない、あるいは、海千山千などという言葉が ある。けれども、海も山もそうそう関係ないものではなく、海でできたものは 山にのぼり、山をつくる岩石はいつか海に還る、そういったある種の輪廻転生 はどこでもいつでも起きているわけだ。ヒマラヤのふもとでもあるインドで、 輪廻転生を教える仏教が生まれたわけだが、それもなにか必然的なものがある のかも知れない、などと考えたくなる。

陸地の起源・・・大陸地殻の形成

 ところで、海と陸とは何が違うかというと、単に水をかぶっているかいない かの違いにとどまらず、地殻の厚み、地殻をつくる岩石の種類、地殻のつくら れ方やできてからの年齢といった点で大きな違いがある。

                大陸地殻        海洋地殻
地殻の厚み(一般的に)    30−60km     3−10km
地殻をつくる主な岩石    花崗岩、変成岩     玄武岩−はんれい岩
地殻のできる場所     沈み込み帯、衝突型造山帯 海嶺、リフト帯*4
残っている地殻の形成年代  0−40億年      0−2億年

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*4リフト帯とは、大陸地殻が帯状に割れて、あらたな海洋地殻ができようとし ているところを指す。現在の地球では、東アフリカの大地溝帯や紅海などがそ れにあてはまる。

 海の中でも水深200m程度までの、大陸棚と呼ばれる部分があるが、これ は地殻の性質から見て陸地の延長と考えて差し支えない。たまたま水をかぶっ ているだけの陸地であるとも考えられる。今から1万年ほど前の最終氷河期に は、海水準が低下して*5現在より130mも低くなった時期があり、この大陸 棚の部分が陸化した時期がある。そのためベーリング海峡や対馬海峡、黄海、 津軽海峡や宗谷海峡などが陸続きになり、人間や動物の移動が容易になったこ とが知られている。大きな川の沖合いの大陸棚には、このときに陸化して掘り 込まれた谷が海面下にずっと残っている。東京湾にも古多摩川の谷が深く刻ま れているのである。

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*5海水準が低下する理由は、地球上の海水のうち3%程度が大陸上に大陸氷河 としてたまってしまい、その分海水の絶対量が減少してしまったためと思われ る。気候が寒冷化すると、高緯度の陸上に積もった雪が融けずに万年雪になり、 それが積み重なって1kmを超える厚みの氷になる。それが氷床とか大陸氷河 といわれるものだ。最終氷期の氷床の痕跡は北アメリカやヨーロッパ、ロシア のかなりの部分に見られる。五大湖やフィンランドの湖の多い地形も氷河の名 残である。

 形成年代の差は何を意味するのだろうか。海洋地殻はプレートの動きととも に、長くても2億年以内に沈み込んで、マントルの中に戻ってしまう。一方、 大陸地殻はそのようなリサイクルを大規模に起こすことなく、沈み込まずにい つまでもマントルの上に浮いているからだと考えると理解しやすい。なぜな ら、大陸地殻を主につくっている花崗岩類は密度が小さく、軽いのである。む りやり押し込んでも浮いてしまって、ヒマラヤやチベット高原のように厚くな るだけで沈まない。
 さて、大陸を大陸たらしめている、この花崗岩はどうやってつくられるのだ ろうか。地球の花崗岩のでき方にはいろいろな場合が考えられていて、まだ良 くわかっていないことも多いのだが、大きく分けて
1)泥や砂などの堆積物(地層)が地下深くで融けたもの
2)大陸下部地殻の岩石、あるいは海洋地殻をつくる玄武岩やはんれい岩が融けたもの
 に大別される。(例外もあるが、ごく少ない。)

 花崗岩はおもに石英、斜長石、カリ長石、黒雲母からなる。黒雲母には5− 7%の分子状の水が含まれており、岩石全体にならすと1%程度の水が含まれ ていることになる。実はマグマの状態では花崗岩はもっと水分子を含んでいて、 2−3%にもなるようだ。マグマが冷えて固まるときに、その余分な水は高温 の流体として周囲の岩石の中に染みだしたり、あるいは花崗岩本体の中であぶ くをつくったりする。そういう所には高温の水に溶け出しやすい成分が濃集し ていて、タングステンなどの金属鉱床とか、リチウムやベリリウムの鉱物や鉱 床ができたりする。
 マントルの高温高圧の条件を、実験室の高圧装置の中で再現した実験による と、花崗岩のようなSiO2成分の多いマグマを地下深くでたくさんつくるには、 水分子がたくさんあるという状況がどうしても必要であるらしい。この水はど こから来たのかが問題で、いまのところその多くは沈み込むプレートの上面を つくる海洋地殻の玄武岩にしみこんだ(反応して含水鉱物をつくった)海水が起 源であると考えられている。
 地球以外の惑星には、今のところ花崗岩の地殻の存在は知られていない。お そらくこれは地球のように表面に水がたくさんあって、しかもそれがプレート (あるいはそれに類するもの)の沈み込みに伴って、定常的に内部に持ち込まれ る、ということが起こっていないためだろう。

 これまで述べてきたように、地球の大陸地殻は、マグマという運び屋による、 ある種の濃集プロセスによって集まったものだと考えてまず差し支えない。そ のような濃集プロセスというのは、いろいろの意味でスケールが異なるものの、 金属・非金属鉱床の濃集プロセスと関連がある。だから鉱床の研究も地殻の進 化の視点で重要な一部分を占めているわけだ。
 地層にせよ、あるいはそのもとになった花崗岩質の大陸地殻物質にしても、 水がその生成に非常に重要な役割を果たしている。そして地球上の水は海とし て表層に最も多く分布している。陸地は海があってこそつくられるといっても いい。
 我々は海の産物である大陸地殻の大地の上に生活している。表層の気圏や水 圏の特徴やそこで生起する様々な現象、あるいは生物システムの存在という視 点からだけでなく、固体地球の表層部としての地殻の特徴やテクトニクスにお いても、海の存在が地球を他の惑星と異なる進化の方向を与え、太陽系の惑星 の中でも地球を特殊な存在たらしめているわけだ。

(ここまで)


 1995.12.7 萩谷 宏 (upload 2001.7.24)