武蔵野台地は基本的には多摩川の扇状地です。もう少し細かく見れば河岸段丘であって、その一番表面に近いところには表土(黒土)の下にローム層が厚くたまっています。
武蔵野台地の図(貝塚1957)
奥多摩の山々から削りだしてきた砂礫が、多摩川に運ばれ、川原にたまるわけですが、そこに火山灰や軽石が積もっても、洪水のたびに流されてしまって、たまらないわけです。けれども海面低下などで河岸段丘ができると、それまで川原だったところが高い位置に取り残され、もはや川の水が火山灰を押し流すこともなくなり、そこにはローム(主に風化した火山灰といわれています)や軽石層がたまるようになります。
したがって、ごく早い時期に川原から分離した高い位置にある段丘面には、より古い時代からロームの堆積が安定してできるようになり、より厚いローム層が段丘礫層の上にたまっていることになります。
武蔵野台地では、多摩川が南側を流れることが多くて、台地の南側により新しい時代の段丘面ができていて、ロームの厚みも薄くなる傾向があります。古い方から、下末吉面、武蔵野面、立川面、・・と名前が付いています。これらの段丘面に対応して、ロームにも下末吉ローム、武蔵野ローム、立川ロームという名前が付いています。
(図)
さて、これらのローム層の堆積した時代は、下末吉ローム層で13−6万年前、武蔵野ローム層で6−3万年前、立川ローム層で3−1万年前とされているそうです。ローム層の中には特徴的な軽石層が入っていることがあり、鍵層として便利です。下末吉ロームにはPm−1(御岳第一軽石層:約8万年前)、武蔵野ロームにはTP(東京軽石層:約5万年前=箱根起源)と呼ばれる降下軽石層が見られますね。
下末吉と武蔵野ロームは、構成粒子を調べると古箱根火山から来たものが多く、立川ロームは富士山からの供給が多いようです。一番上の黒い土は、最終氷期以降に堆積した富士の火山灰+有機質成分と見て良いようです。
表土とローム(赤土)・・立川市砂川
これらローム・軽石の給源火山の移り変わりは、それぞれの火山の成長史と密接に関わっているわけです。
参考文献
・東京都地学のガイド 貝塚爽平監修 コロナ社 1980 ISBN4-339-07513-2 C3344
・日曜の地学 東京の自然を訪ねて 築地書館
・火山灰は語る 町田 洋著 蒼樹書房 1977
・東京の自然史 貝塚爽平著 紀伊国屋書店