知ることのあり方を問い直そう

 地球大紀行DVD特典映像#12の台本(萩谷作成)から。2001.9.29 ver.4


 現代の高度情報化文明は、さまざまなものをわたしたちにもたらしました。

 気候変動や気象現象をはじめ、計算機を使って、未来の予測も可能になってきました。

 遺伝子の仕組みが次々と解明され、ヒトゲノム計画に代表されるように、生化学の進展により、生命の仕組みのほとんどが明らかにされつつあります。

 一方で、高度な科学技術文明の負の遺産も、私たちは負わなくてはいけません。

 21世紀を迎えた現在、物質的な豊かさを追求する文明のあり方は、有限の資源という壁にぶつかり、進むべき方向を見つめ直す時期に来ています。

 わたしたちは、「地球大紀行」をつうじて、私たちの文明の背後に広がる、地球の精妙な自然システムと、その歴史を学んできました。

 科学技術を支える化石燃料や金属資源は、地球内部の熱や太陽放射のエネルギーを、表面の水、そして生物活動を通じて、つくりだされたものです。

 また、我々人間を産み出すまでの、生物進化の歴史、そして陸上生物を支える酸素の多い大気やオゾン層のなりたちをみてきました。

 人類の進化、そして農耕や牧畜の開始に、氷期の終了と気候の安定化が大きな役割を果たしていることがよみとれます。

 文明の背後には、常に自然の大きな流れがあり、我々は過去から現在にわたるさまざまな時間と空間で、その自然の恩恵を受けています。

 「地球大紀行」以後の15年間の間にも、次々と地球の仕組みが明らかにされてきました。

 研究は進み、次々とあたらしい知見が加えられていきます。

 一方で、少し前には予想もしていなかったり、さして大きな問題だとは思われなかった問題が浮上し、人類が解決すべき課題は巨大化しつつあります。

 次の世代に、どのような地球環境を手渡していくのか、わたしたちの意識と行動が問われています。

 地球のあちこちを訪ねて、自然のつくりだした風景の中に、奇跡の星・地球の営みを読みとることは、驚異の連続でした。

 それとともに、わたしたちは地球について何を知っているのだろう、私たちが見ることのできる世界は、地球のほんのごく一部、精妙で巨大なシステムの一面でしかないのではないか、という思いを持ちます。

 現代では、映像や書物を通じて、たくさんの知識を得ることができます。

 IT時代を迎えて、手軽に高度な情報を入手することができるようになりました。インターネットを通じて、リアルタイムで、地球の姿を宇宙空間から観察することもできます。グローバルな視点や、あるいは地球という言葉そのものが、本当に身近なものとなりました。

 しかし、巨大な自然を眼前にしたとき、わたしたちは、地球について、本当はまだほとんどわかっていないのだ、ということを痛感させられます。

 現代の地球環境問題の多くが、わたしたちが浅い理解で、あるいはその場限りの問題解決で、ことたれり、としてきたところに、手に負えなくなった原因があります。

 いささか逆説的ではありますが、わたしたちは産業化のための知識を蓄積することで、地球のしくみを簡単にコントロールできるものと、たかをくくってしまったところがあるのではないでしょうか。  間接的な情報、映像と文字による美しい論理的な説明に、落とし穴があったのではないでしょうか。

 自然を理解した、征服したと思ったところに、落とし穴がありました。それを繰り返して、負の遺産を増やしてきたのではないでしょうか。

 わたしたちは、もっと地球のことを知らなくてはいけない。と同時に、わからないことを知らなくてはいけない。
 短期間では見えない問題が、長い時間では顕在化してくる。そしてそれは文明を通じて、同じ種類の問題が繰り返し課題となってきました。

 繰り返しの側面があるとすれば、古くからの知恵の中にも、解決のヒントが隠されている場合があるかもしれません。

 そして、私たち自身の直接的な体験の中で感じる、人間の限界や自然の巨大さの実感に、自然との関わりの原点を見いだすことができるのかもしれません。

 いま、この風景の中にいると、数千年の文明史の向こうに、もっと巨大な自然史の大きな流れがあり、そのなかにいまの私たちがあることを実感します。

 そのような、「知ること」のあり方を問い直すことこそが、21世紀の地球と私たちの関わりを見直すきっかけになるかもしれません。

 そして、それが21世紀の我々ひとりひとりの、あらたな「地球大紀行」のはじまりとなることを期待して、お別れしたいと思います。


石のたましい

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