宇宙の中の都市
萩谷 宏
都市環境を考える際には、地球や宇宙といった大きなスケールの自然環境のなかに都市環境があり、その外側からの視点で都市を見つめることが必要だろう。また、現代の都市が成立する背景には、人間の生存環境を含め、さまざまな資源が生み出されてきた背景として、46億年の地球の歴史を知り、その中で現代の都市文明の位置づけを探る必要があるだろう。ここでは都市をめぐる空間的・時間的背景を概観し、地球規模での物質循環や、地球環境の変遷の歴史の中で都市文明を再検討してみたい。
I 都市形成の空間的背景
現代都市の立地条件 −平地の形成要因
地球のテクトニクスと都市
大陸移動と都市
氷期−間氷期サイクルと都市
大気―海洋の水循環システム
気候帯、大気大循環、海洋大循環、気候変動
河川水、水上交通、物資の集積
地下水−地盤の問題、水がつなぐ都市
太陽放射の安定性
太陽放射と気候変動
地球温暖化問題、ヒートアイランド現象
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宇宙の中の都市
外宇宙から太陽系を訪ねてきた異星人が、現在の地球に到達すると、太陽に照らされた地球の昼の側は青い海と白い雲に覆われ、森林の緑や砂漠の茶色に彩られた陸地を目にするだろう。一方、夜の側に回ってみると、本来は暗黒であるはずの夜の地球には、都市の光や漁業の光が点々と瞬いているのに気づくはずだ。都市の夜空で星が見えない、光害が問題になって久しい。都市は人工的なエネルギーを宇宙空間に放出する場でもある。
しかし、そのような都市の姿が地球上に現れたのは、ごく最近のことである。もし異星人の宇宙船の到着が200年早かったとすれば、都市に街灯はなく、夜の地球に都市の光を見ることもなく、テレビやラジオの電波もなく、運が悪ければ通り過ぎてしまうことだろう。
都市は膨大な量の熱と光を放出している。それは、太陽の光に照らされている昼の側ではなく、夜の側ではっきり認識できる。そのエネルギーは大半が化石燃料や原子力によって得られたものである。都市は、現在の太陽からのエネルギーだけではなく、生物が蓄えた過去の太陽エネルギーや、地球形成時に取り込んだ放射性物質の核エネルギーを利用して維持されている。
地球の歴史の中で、ここ百年余りの期間を除いたほとんどの時間は、地球の夜は暗黒であった。都市が夜に明るく輝くようになって、人々はより健康で安全で豊かな生活を享受できるようになった。一方で汚染が広がり、人口問題や南北問題、地球環境の問題が顕在化してきた。夜の地球が都市の光で明るくなることには、文字通り光と陰の歴史がある。
現代都市の立地条件 −平地の形成要因
地球のテクトニクスと都市
地球の表面は凸凹があり、低いところには海水がたまって海洋を形成している。海洋の面積は地球表面の70%を占め、その平均水深は3600mにもなる。
都市は言うまでもなく陸上に形成されている。陸域の面積は地球表面の30%を占めるが、その1/3は砂漠気候やステップ気候の乾燥地域である。都市が形成されうる場所は意外に少ない。広く平坦な土地で大量の水が得られ、交通や産業の中心となる場所に都市は形成される。
広く平坦な土地をつくる地球のプロセスと、都市の立地条件は関係がある。陸域は安定大陸と変動帯に分けることができる。安定大陸を構成する岩石や地層は、平均で約20億年の形成年代を持ち、長期間にわたる侵食で比較的平坦な土地が形成されていることが多い。楯状地やプラットフォームと分類される地形である。このような安定大陸では、平坦な土地を得ることはそう難しくはない。都市の形成は、地形よりも交通や産業といった要因でコントロールされるだろう。ニューヨークやロンドン、パリといった欧米の都市はほとんどがこれに分類される。
一方、変動帯とは、安定大陸の周囲に発達する、地殻が形成されつつある場所である。地震や火山が集中し、地層や岩石の年代は数億年以内と若い。このような場所では、水平方向にも垂直方向にも地殻の変動が急速であり、ヒマラヤやアルプス、アンデスなどの大山脈が形成されたり、火山帯が連なり、起伏の多い地形になる。そこで平坦な地形ができるのは、急速な隆起域の近くの沈降地帯である。隆起する地域や火山からは、侵食によって大量の土砂が供給される。それらは河川や風によって運ばれ、その下流側に堆積する。海岸を埋め立てて海岸平野をつくり、あるいは河川に沿って河岸段丘をつくる。沈降域があれば、そこに運ばれた土砂は安定してたまり続けることができて、広い平野が形成される。変動帯のこのような場所に形成された都市には、東京や大阪をはじめ、日本のほとんどすべての都市はこれに当てはまる。環太平洋地域の大都市の大半が同様な条件の場所にある。
安定大陸と変動帯のこのような違いにより、都市が抱える問題の性質は異なってくる。変動帯の都市においては、地震災害や火山災害と無縁ではない。厚い堆積物のために地盤も一般に弱い。このことは、都市が高密度化・高層化した20世紀後半になって、その危険性が強く意識されることになった。
大陸移動と都市
安定大陸と変動帯の性格の違いは、大陸移動と関係がある。地球の表面は、十数枚のプレートと呼ばれる単位に分かれて、それぞれが相互にゆっくりと移動している。プレートは、地殻・マントル・核で構成される固体地球の層構造のうち、地殻と上部マントルの一部の、表面に近い冷えた部分である。地球は内部ほど高温であり、その熱を地球の表面から少しずつ宇宙空間に逃がしている。地球内部の熱を表面に運ぶプロセスのひとつが火山活動であり、このプレート運動も一種の対流として熱を運んでいる。熱伝導で地表に達する熱もあり、これら3つは地球の放熱プロセスとして、ほぼ同じ熱量をはこんでいる。
大陸は厚さ平均35kmの大陸地殻をもち、大陸地殻は花崗岩や変成岩などの比較的密度の低い岩石でできている。大陸はプレートの上に浮いて乗っているので、プレートの動きによって運ばれ、ちぎれたりぶつかったりしている。その速度は年間数cmというゆっくりしたものなので、我々は大陸が動いていることを実感することはない。しかし、数千万年、数億年というスケールでは、大陸の移動は無視できない大きさになる。
かつてウェゲナーは、様々な動植物や化石の証拠、各大陸の海岸線の類似から、大陸移動説を主張した。大陸移動の原動力がその時点では説明できず、大陸と大陸の間の海底に関しての情報が当時は少なかったこともあり、彼の存命中に大陸移動説は広く受け入れられることはなかった。第二次大戦後、各大陸の地質時代の地球磁場の記録を調べることや、海底に海嶺と呼ばれる大山脈が存在し、そこで海洋底が拡大しているという海洋底拡大説の発表により、実際に大陸が移動したことは事実として受け入れられるようになった。そしてプレート・テクトニクスという考え方によって、一種のマントル対流である、プレートの生成と消滅というプロセスの中で、大陸の分裂や移動、衝突が理解されるようになり、大陸移動説は完全に復活した。
1980年代以降、原子時計と電波技術の発達により、まず遠方の天体から届く電波の到着時間の差を精密に測る手法(VLBI)により、地球上の遠く離れた2点間の距離が測定され、これによって地球表面が年間数cmのスピードで動いていることが実測された。ついで、1990年代にはGPS衛星を利用した地球表面の精密測量が可能になり、きわめて精密に地球表面の移動が観測されるようになって、プレートの運動はほとんどリアルタイムの状態で観測されるようになった。
プレート・テクトニクスの弱点のひとつとして、大陸が分裂を開始する原動力の説明が不充分だという点があったが、1990年代になって、地震波による地球内部の精密解析と、地球内部の高温高圧状態を再現する実験を基盤としてプルーム・テクトニクスという考え方が提出され、下部マントルまで含めた大規模で非定常な対流が、大陸の分裂や大規模な火山活動の開始につながることが説明された。
都市の成立も、大陸移動とは無関係ではない。いまから約3億年前に、地球上の大陸はひとつにまとまり、パンゲアと呼ばれる超大陸を形成していた。現在の北米とヨーロッパの間には、パンゲア形成の際の大陸衝突でできた大山脈があり、北米東岸とヨーロッパには、現在のアンデス山脈とアマゾンの湿地のような関係で、大規模な湿地帯が形成されていた。そこで堆積した森林の植物が地下に埋もれ、石炭となって、北米とヨーロッパ北部の大規模な炭田のもととなった。産業革命の際に、蒸気機関の燃料となったのはこの炭田で得られる石炭である。もし3億年前の超大陸形成がなければ、石炭が得られず、産業革命は成立しなかったかもしれない。そしてロンドンなどの大都市の発展もなかったかもしれない。[1]
燃料資源だけでなく、鉄鉱石や銅鉱石、金やダイヤモンドなど、地下資源の産出は、大陸移動のプロセスと無関係ではない。現代文明を支える様々な資源は、地球表面で繰り返すプレートの移動、大陸の分裂や衝突、それに伴う隆起や浸食、火山活動によって形成され、採掘可能になっているものばかりである。
大陸の分裂や衝突によって、大規模な地形の変化ももたらされる。大山脈の形成、大陸を刻む湾や入り江の形成、河川の形成。北米とヨーロッパが分離し、大西洋が形成されなければ、北米東岸の諸都市は成立しなかっただろう。
地形によって気候が決定される。緯度によって気温と風向きが決まり、海流は大陸配置の影響を受ける。山脈の風上と風下では降水量が大きく異なる。気候は植生に影響を与え、その土地の生態系を形づくる。オーストラリアの有袋類にみるように、動植物の進化や分布も大陸移動に支配されている。そして人類の拡散の歴史も、大陸配置と無縁ではない。数億年スケールでの地球の変動が都市の成立の基盤となっているのである。
氷期−間氷期サイクルと都市
過去数百万年にわたって、地球はおよそ十万年の周期で、寒冷な時期(氷期)と温暖な時期(間氷期)を繰り返してきた。氷期には高緯度の大陸地域に、氷床と呼ばれる万年雪が固まった巨大な氷の塊が形成され、海水面は低下し、氷は自重で大陸を削りながら少しずつ海に流れ込んでいた。現在から見て最後の氷期は約12万年前に始まり、1万年前に終了した。氷期の最盛期である約2万年前には、地球の陸域の1/3が雪と氷で覆われ、北米大陸の大半は氷床によって覆われ、削られていた。現在も残る南極やグリーンランドの氷床はいまよりも厚く、スカンジナビア半島やシベリアの一部、イギリスを含む北部ヨーロッパなど、高緯度地域と山岳地域の多くの場所で氷床が形成されていた。この寒冷な時期に、海面が低下し大陸棚が陸化したこともあって、アフリカで出現したとされる現生人類は生活域を広げ、オーストラリアや東アジア、シベリア、そして南北アメリカへと移動していった。約1万年前から現在までは、間氷期の温暖な気候が続いている。特に約6000年前頃には現在よりも温暖な時期(ヒプシサーマル)があって、日本では縄文人が漁労・採集生活をしながら独自の生活文化を形成していた。四大文明の成立もこのころである。
気候の変動、温暖化は、採集・狩猟の生活から、農耕・牧畜への生活への変化をもたらした。氷期においては気候が不安定で、農作物が同じ場所で確実に収穫できるという保証はなかった可能性がある。それに対し、温暖で安定した気候は、周期的な耕作活動を可能にした。穀物の栽培は人口増加をもたらし、人口の集中は権力の形成につながった。そうして、間氷期の温暖な気候のもとで都市が形成された。
北米や北ヨーロッパの都市は、氷期の氷床の消長により形成された土地の上に成立している。ニューヨークも氷期には氷の下であった。五大湖は北米氷床が削り込んだ窪地の跡であり、その出口はセントローレンス川の流路になっているが、この谷も氷河と融解した水によって削り込まれた地形である。北ヨーロッパに肥沃な土壌がないのは、氷床により表土を削り去られたためであり、氷床が消滅して過去1万年の間に植物が生えても、貧弱な土壌しか形成する時間がなかったためである。氷床の発達しなかった地域には肥沃な土壌が残り、農業生産が盛んである。
このように、わずか1、2万年で地球の表面は大規模にその様相を変える。我々はたまたま安定した温暖な気候の1万年の中を生きているが、地球の歴史の中で、それは非常に幸運なタイミングであったといえるのかもしれない。そしていま、産業活動によりわれわれはそのバランスを崩しかねない危険を冒しつつある。
大気―海洋の水循環システム
気候帯、大気大循環、海洋大循環、気候変動
地球が太陽系の他の惑星と異なる最大の点は、地球の表面に大量の液体の水があり、そして窒素―酸素を主とする大気があって、太陽放射の熱を吸収し、大気の流れや海流、水蒸気の蒸発と凝結によって、その熱を地球表面に再配分しているところである。このために極地や内陸でも生物が生息できる環境が保たれ、また表面の変化に富む様々な環境と、その環境に適応した生物の生態系が維持されている。
気候を決定するものは、気温と降水量である。太陽から受ける熱量は、太陽放射が地面に当たる角度によって、単位面積あたりの熱量が異なるので、赤道付近で最大、極域で最小になる。当然、赤道に近い低緯度が高温になり、極地方は低温になるが、大気や海洋がないと想定した場合にくらべ、地球の赤道地方はそれほど高温にならず、極地方も極端に寒冷になっているわけではない。例えば月では、太陽の当たっている側では地表は100度に達し、太陽の反対側では−100度になるが、地球では砂漠でも最高気温50度、南極でも−80度程度である。多くの地域はこれよりも温度幅の狭い範囲に存在する。
地球は太陽からのエネルギーを主に可視光で受けて、赤外線の形で熱を宇宙空間に放出している。物体は、その表面温度に応じた波長と強度の電磁波を放射し、熱を放出するが、太陽表面のガスは約6000度、地球表面の平均温度は摂氏15度である。太陽は6000度に相当する電磁波の可視光線を主に放出し、それを受けた地球は摂氏15度に相当する赤外線のかたちで宇宙空間に熱を逃がす。地球の昼の面が可視光で見えるのは、太陽の光を反射しているからであって、地球が自力で光っているわけではない。
太陽からの可視光の受光量(熱量)と、地球表面からの赤外放射(熱量)を緯度別に示したのが図?である。赤道では太陽から受ける熱よりも、その場所で放射する熱量が少ない。一方、両極では太陽から受ける熱よりも、その場所で放射する熱量の方が多い。つまり、何かが媒体となって、赤道で過剰な熱を不足する両極へ輸送していることになる。その媒体が、大気の流れであり、海洋の流れであり、そして水蒸気の蒸発と凝結−硬水のプロセスなのである。
図?では、日本の位置する北緯35度付近で、太陽から受ける熱量と放熱量が等しくなる。これは決して
そこでの熱の輸送が止まっているということではなく、むしろ反対に、もっとも低緯度から高緯度への熱の輸送が激しいところだと言える。変化に富んだ日本の四季は、この位置に日本の大部分があることに大きな原因がある。
大気による熱の輸送は、様々な気象現象として見ることができる。北半球に住む我々にとって、南風が暖かいのは、低緯度の高温領域から高緯度の低温領域へ、風が熱を運んでいるからである。逆に、北風が冷たいのは、高緯度側の冷たい空気で低緯度側を冷やす、負の熱輸送を行っているからである。
地球の大気は、地表に近いところから、対流圏、成層圏、中間圏、熱圏と区分されているが、対流圏と呼ばれる高度10km〜15kmの領域では、大気の対流が盛んであり、大規模な熱輸送が行われている。対流は垂直方向の渦としても、水平方向の渦としても現れる。台風が渦を巻いているように、低気圧や高気圧は水平方向に広がった渦である。渦のまわりを風が周り、南風が北に熱を運び、北風は南に冷たさを運ぶ。(北半球の場合)。一方、夏の夕立の雷雲や、熱帯地方のスコール雲のように、垂直方向の渦が雲をつくる場合もある。この場合、数kmから数十kmの範囲で、上昇する空気と下降する空気が入れ替わり、上昇する空気から水蒸気が凝結し、強い雨がもたらされる。雷雲は上昇流ばかりに目がいきがちであるが、ダウンバーストと呼ばれる下降流は、航空機の離発着の際に事故を起こす原因としても知られる。
春や秋の日本付近は、移動性高気圧と温帯低気圧が交互に日本付近を通過し、周期的な天気の変化をもたらす。これも水平方向の対流の現れであり、低緯度から高緯度への熱輸送がそこで行われている。
台風は熱帯・亜熱帯域から高緯度側への熱輸送の姿である。台風のエネルギー源は、低緯度の高温の海水であり、台風は海上で発生する。太陽放射により海面からは常に水が蒸発している。平均すると、1年間に海洋表面の1m分が蒸発する計算になる。蒸発した水は大気に含まれ、移動し、どこかで雨や雪として地球表面に戻ってくる。陸地に降った雨や雪は、地表を削り、物質を運びながら最終的に海に帰ってくる。約4000年で海洋の水は入れ替わっている計算になる。
水蒸気は蒸発する際に熱を奪う。プールから上がった濡れた身体が寒く感じるのは、身体の表面の水が蒸発するときに体温を奪うからである。この熱は水蒸気の中に潜熱として含まれているが、水蒸気がもとの液体の水や固体の氷になるときに、周囲に熱を吐き出す。大気は動いているので、蒸発したところと異なる場所に水と熱を運ぶことになる。こうして内陸にも雨がもたらされ、あるいは熱が運ばれる。
台風は巨大な水蒸気の渦でもある。低緯度の高温の海水から蒸発した水蒸気は、台風の上昇気流の中で凝結し、熱を放出して、より強力な上昇流をつくっていく。大気の流れに乗って台風は高緯度側に移動し、そこに雨を降らせ、同時に低緯度の熱を運ぶ。台風が通過したあと、一般にその土地の気温が上昇するのは台風が運んだ熱の影響がある。
日本においては、台風は災害をもたらすこともあるが、田畑を潤すものとして台風は大きな役割を持っている。日本の年間平均降水量は1500mm程度あるが、その1/3は台風がもたらすものであるといわれる。台風の発生や上陸の少ない年は、都市が水不足に悩まされることも多い。
海流は地球全体の熱の循環を担っている。暖流は低緯度の熱を高緯度に運び、寒流は極地方の冷たい海水を低緯度に運んで冷やしている。海流は海岸沿いの地域の気候をもコントロールしている。日本付近では黒潮や津島暖流が低緯度の海水を運び、沿岸に温暖な気候をもたらし、また日本の湿潤な気候を支えている。一方、親潮はオホーツク海方面から冷たい海水を運び、低温で酸素量が多く栄養塩も多いために、日本近海の漁業の基盤ともなっている。
大西洋のメキシコ湾から北海に至る北大西洋海流(メキシコ湾流)は、世界的にも重要な海流のひとつである。低緯度の温暖な海水を北極圏まで運び、このために西ヨーロッパの温暖な気候が維持されている。また、霧の都・ロンドンの霧も、北大西洋海流がもたらすものである。
目に見える表層海流の流れとは別に、海洋の深層を流れる、深層流が地球環境をコントロールしている大きな要因であることが近年わかってきた。深層流は2000年で地球の海を一周する大規模な流れであり、それ自体の熱輸送量はそう大きくはない。しかし、深層流の存在が表層の海流のパターンを決めており、深層流が停止すると高緯度への熱輸送が滞って、極端な気候の寒冷化と不安定化を招くことが知られている。約13000年前に、温暖化に向かっていた気候が寒冷気候に逆戻りした時期(ヤンガードライアス期)があり、それは深層流の停止が原因であると考えられている。深層流が支える微妙なバランスの上に、過去1万年の温暖な気候が維持され、文明が発達してきたのである。
河川水、水上交通、物資の集積
陸上に降った水は、表層を流れて河川に合流する場合もあるが、多くの場合はいったん地下にしみこみ、地下水となっていったん蓄えられる。地下水はゆっくりと移動し、あるところで地表に湧出し、河川水となって流れ下る。
地上に降った水は、基本的には蒸留水であり、気体成分をとけ込ませている他は、純粋な水に近い。しかし地下を通過する間に、岩石をつくる鉱物の風化で放出された、様々な無機イオンをとけ込ませる。いわゆるミネラル分であるが、カルシウムやマグネシウム、カリウム、ナトリウムといったものが主なものである。これらは生物にとって必要不可欠な成分である。海水には豊富に含まれているが、蒸留水にはない。陸上に住む生物にとって、植物が根から吸い上げた水にこれらの成分が含まれていることは、本質的に重要である。また、植物を食物として得る動物、そして草食動物を食べる肉食動物と、これらのミネラル分は引き継がれていく。生物の世界は水と、水の溶存成分によって維持されている。
都市もまた水と切り離すことはできない。都市を支えるのは、まず第一に食料の供給である。その食料生産と、豊富な水とは切り離すことができない。都市は利用できる水の量によって規模が決まるといってもよい。水は物資の輸送の上でも重要である。貿易港として栄えた都市や、農産物や鉱産資源など、物資の集散地として発展した都市もある。鉄道や航空機が発達する以前から、バイキングや大航海時代にみるように、船による水上交通は大量の物資の輸送手段として確立していた。水上交通の要衝が都市として栄え、貿易が世界地図を塗り替え、水上交通の覇権争いが国の盛衰を左右してきた。
地下水−地盤の問題、水がつなぐ都市
都市の急速な発展と工業化は、水の需要を急速に高めた。東京や大阪では工業用水の不足を補うために、昭和30年代を中心に、大量の地下水をくみ上げた。その結果、地下の地層をつくる砂やシルトの粒子の間隙水が失われ、地盤沈下を引き起こした。東京や大阪のように大河川の河口部や海岸平野、三角州の地域には、最近1万年間に堆積した未固結の地層が厚く分布している。この地層は氷期終了後に海面が上昇し、現在に近い水位に達したときに、河川あるいは沿岸流によって運ばれてきた砕屑粒子(砂やシルト、粘土)によって校正されていて、加重が加わっていないために粒子間の隙間が大きく、水を含む割合が大きい。いわゆる軟弱地盤はこのような地層によって構成される。地盤沈下の問題だけでなく、地震の際の震動の増幅、液状化による地盤災害と密接に結びついている。このように、河川や海水による物質輸送があって日本の大都市が成り立っていることがわかる。また、土地の成り立ちを知ることは災害に対して備える上で重要なことである。
近年、東京では地下水のくみ上げによって下がっていた地下水位が、くみ上げの停止によって復活しつつあり、これによって地下鉄や地下駅の構内に湧出する地下水量が増加し、問題になっている。地表水の分布や移動のみならず、地下にも広がり多層化した現在の大都市では、地下水の分布や移動を考慮に入れた都市設計が必要になっている。
大都市における河川水は、水利用が極限まで進み、いまや自然の河川とは切り離され、都市河川は処理場の二次処理水がその流量の大部分を占めている場合も多い。東京では、かつての玉川上水も、目黒川も、現在では処理場の水を流している。ヨーロッパの場合、ライン川のように複数の国を流れる国際河川があり、上流域で利用された水が処理水として河川に流され、その水が下流域の国で再利用されることがふつうにある。このような場合、上流域の処理水が河川の水質を決めることになり、汚染は非常に大きな国際問題となる。幸か不幸か日本は豊富な水に恵まれ、また周囲を海に囲まれて、汚染の問題が他国との問題になることは少なかった。しかし漂着物のゴミの問題や、オゾン層破壊や地球温暖化などの地球環境問題にも関係して、もはや自国だけの基準や都合で物事をはかれない時代になっている。
太陽放射の安定性
太陽放射と気候変動
地球表面には、場所や条件による違いはあるが、太陽からの光が降り注いでいて、そのエネルギーが地球の気候をつくり、水の蒸発と降水をもたらし、変化に富んだ生態系を維持するもととなっている。地球内部からの熱は、海底熱水噴出口などで、局所的な生態系を支えているが、そのエネルギー量は太陽放射の1000分の1程度に過ぎない。地球の表面の温度や降水量など気候の特性は、ほとんどすべてが太陽放射とその大気や海洋による再分配のプロセスによって決定されている。(図)
太陽放射の量は、過去数千年の間、きわめて安定しているが、1%以下の範囲では変動している。太陽放射の強弱は、太陽表面の黒点数と連動しており、黒点数は11年周期で増減を繰り返していることが知られている。黒点は太陽表面近くの高温のガスが、磁場によりある領域で上昇を妨げられ、その部分が低温になって黒く見えるものだが、太陽表面の磁場の活動のバロメーターといえる。黒点が多く見えるときほど、太陽全体としては逆に高温の白斑領域が多く、太陽放射量は増加する。
17世紀から18世紀前半にかけて、黒点がほとんど出現しない時期が続き、マウンダー極小期と呼ばれている。この期間は地球の表面は寒冷化した。テムズ川が凍ったり、日本で飢饉が起きたりしたのもこの時代である。このとき、太陽放射量の推定では、わずかに平均より0.5%低下しただけだとされている。いかに地球の気候が太陽にコントロールされているかを知らされる。
地球温暖化問題、ヒートアイランド現象
地球温暖化問題は、1970年代以降、その危険性が叫ばれている。太陽から受ける熱量と、宇宙空間に放出する熱量が等しければ、地球の表面の温度は一定を保つはずである。地球表面の温度が高くなると、放出する熱量は大きくなり、低くなると放出する熱量は小さくなる。どの温度で受け取る熱量と放出する熱量が等しくなるか(=平衡に達するか)ということが問題である。実際は、大気中の二酸化炭素や水蒸気などの赤外線を吸収する気体により温室効果が生じて、地球の表面温度は大気がない場合にくらべてかなり高い温度で平衡を保っている。
産業革命以降、人類は化石燃料を大量に消費してきた。そのため、それまで地下に埋もれて大気や海洋、生命圏には存在しなかった、過去に生物が大気から固定した炭素が、大量に二酸化炭素として大気に放出されている。放出された炭素の約半分は、海洋が吸収していると考えられるが、残り半分は大気に残り、地球の大気中の二酸化炭素濃度を高めている。二酸化炭素は地球表面から放出する赤外線の熱を通さない働きがあるため、大気中の二酸化炭素が増えると、地球は全体として気温が高くなる。
二酸化炭素以外にも、人類の産業活動で排出される温室効果気体は数多くある。その中で問題となるのは、CFC’S(クロロフルオロカーボン、いわゆるフロンガス)や、メタンなどである。前者はオゾン層破壊による紫外線増加の問題の原因でもあり、またメタンは天然ガスの主成分であるほか、牧畜や熱帯雨林の破壊によっても大量に発生する。
地球史を通してみると、現在の二酸化炭素濃度は特別高い状態ではない。恐竜が生きていたいまから約1億年前、白亜紀には、二酸化炭素濃度は現在の約6倍に達し、地球全体が温暖な状態を保っていたと推定されている。ある推定では、当時の熱帯は気温30度前後、北極や南極でも年間平均気温は15度程度あったとされる。極地域に植物が繁茂し、恐竜が生活していた証拠もある。
そうであれば、温暖化は地球システムにとって特別なことではないという解釈も可能であろう。しかし、自然のプロセスによる場合と異なり、人類は産業活動により、産業革命以降のわずか数百年で数万年、数十万年分の変化を引き起こしてしまっている。この急速な変化は、地球がかつて経験していない速度であり、その新しい条件で安定な気候システムや生態系への移行は、我々の経験範囲を超える大きな変動を伴う。地球システムにおいても予測範囲外の変化を引き起こし、洪水や渇水、台風や極端な寒冷化、温暖化、異常気象をもたらすだろう。
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章末のまとめ
・地球は太陽放射を大気や海洋の運動により再配分するしくみを持ち、それがマイルドな気候を保ち、陸上に降水をもたらし、生命圏を維持するために重要である。
・地球内部の熱は、大陸移動や火山活動をもたらす。それは都市の形成と資源や立地条件の点で密接に結びついている。
・過去数十万年の気候変動は、氷床の形成と消滅によって地表を変化させ、人類の文明に影響を与えてきた。現在、温暖化ガスの放出により急速な地球温暖化が進行中であり、その変化の速度が生態系や地球システムに大きな影響をもたらす可能性が懸念されている。
・安定大陸の都市と変動帯の都市では、地質条件が異なり、想定される災害の種類や特性が異なる。
・化石燃料の消費や、地面の被覆、高層化によって、都市は熱の収支や水環境の点で問題を抱えている。