出席カードに書き込まれた、質問と意見(要約)に対する回答(12/18火曜2限)

(大地のめぐみ−資源の利用と環境保全)

 

(講師による補足)

#森林破壊の現状など、VTRで見る自然の改変、環境汚染の姿は、現代が抱える問題を象徴している。それは、悲劇的にさえ見えるだろう。しかし、長い時間スケールで見たときに、その破壊がどのように回復するのか、あるいは回復不可能になるのか、それが長期的に見て重要な問題になる。森林破壊が悪いとは言い切れない。自然に対して何らかの作用を与えることで、我々の生活は成り立っているので、自然に改変を加えることは、ある程度避けることができない。問題は、それがどのような影響を与えるか、現代では過去に例のない速度で変化を進行させてしまう危険があり、数百年では回復不能な環境への負荷をかけてしまう危険があることである。自然に働きかける際に、ある程度の調和を維持した上で、自然のめぐみを利用できるかが鍵となる。かつての人類は、その知恵を持っていたのかもしれないし、あるいは人間活動がここまで拡大した現代では、過去から学ぶことだけでは解決できないかも知れない。それらはすべて、現在と未来に我々が負うべき課題である。

 

(講師の疑問…おまけ)

 日本では、たとえば江戸時代後期の江戸は、ロンドンよりも多い人口をもっていたにもかかわらず、周辺地域の森林破壊にはつながらなかった。これは、日本の地形や気候、土壌や植物相など自然条件が欧米とは異なっていたのか、それとも木と紙を主とする建築様式と米と野菜を主とする食習慣の影響などの、文化的な原因があるのか、あるいはその両方なのか。

 

環境保全

*鉱山の煙害や水質汚染は環境破壊と科学の発達を象徴した問題だと感じた。

 科学の発達なのかなあ。どちらかというと、豊かな生活の代償という気がします。

*硫黄分が植物を枯らしてしまうことをはじめて知った。煙突を作ったことにより大気が逆転して緑がよみがえることに驚いた。

 大気が逆転するのではなく、逆転層を突き抜ける煙突をつくることで、地表付近に二酸化硫黄を含む廃煙が滞留することを防いだのです。ふつう、大気は上空に行くほど空気の温度が下がる(太陽の光は空気を素通りして地面を暖め、空気は地面によって暖められる。そこで上空の空気には熱が伝わりにくい。)のですが、地表の冷却などで上空の方が温度が高い部分(逆転層)ができると、煙がそこを越えて上っていけなくなり、地表付近に滞留します。

*鉱物は自然界のものなのに、それをとることでたくさんの公害が起こるのに不思議な感じがした。

 自然界にあるだけでは、公害の原因にはなりません。というのは、水に溶けるものは、雨水や地下水に溶けて流れてしまっていて、地下の水の通り道もだいたい決まっていて、安定しているわけです。しかし、掘り返すことでそれまで水が通らなかった部分に水が通るようになり、あるいは空気にふれて、さまざまな物質が溶け出したり、反応したりすることになります。それを大規模に行ってしまうために、微量では問題にならない公害の原因物質が、大量にまき散らされることになるわけです。

*いろんなものを燃やしたり、ほりだしたりとなんで、そんなバカなことをして公害をおこすんだろうと思っていたけど、ほったあとの土に水が通るだけで汚染されるなんて想像できない。しょうがなかったのかなあ、とはじめて思った。

 公害は、常に起きる可能性があり、問題は起きたあとの対処です。早い段階で対策をとれば、軽微な被害ですむ場合もあります。第二次大戦後の日本の大きな公害は、初期の対処を誤ったり、被害を故意に無視したために、被害を拡大し犠牲者を増やしてしまった、という悲しい歴史を含んでいます。我々はきちんとそこから学ぶことが必要なのではないでしょうか。

*ハンセン病も環境汚染による公害なのですか?(薬物でしたっけ)

 ハンセン氏病は、ウイルスが原因の病気です。ハンセン氏病の患者は長い間偏見と差別の被害を受けてきました。現在では、適当な治療を受ければ完全に治る病気であり、ウイルス自体も感染力の弱いものです。

*足尾銅山以外に日立などにも(公害が)あったとは知らなかった。でも普通に考えれば、足尾以外にも銅山はあったはずだし、どこにでも公害になり得た可能性がある。

 現在ではその歴史が埋もれてしまっている場合も多いと思いますが、明治時代以降、昭和30年代まで、ほとんどの都道府県でいろいろな鉱山が採掘を続けていて、このような問題があちこちで起きていたことは確かです。江戸時代以前にも公害問題はありましたが、明治期以降は採掘量が飛躍的に増大したため、被害も拡大しました。

*環境汚染に対しての人々の工夫や取り組みによって今の生活が成り立っていることがわかりました。

 いまも、どこかで環境汚染と戦っている人がいるのだろうと思いますし、一方で資源開発に携わる人がいることで、いまの我々の生活水準が維持されてもいるわけですね。

*我々が過去から学ぶものもあるということを知った。

 過去から学ばなければ、同じ過ちを繰り返すことになり、進歩はない、という気がします。

*環境保護は大事だと感じた。

*環境問題って一生なくならないですよね。大昔にも環境問題ってあったんですか?

 特に産業革命以降が問題とされていますが、小規模なものでは人類が農耕や牧畜を始めたときから、あるいは他の生物たちよりも人類が繁栄をはじめたその時から、環境問題は存在したように思います。

*昔、中国が石炭を燃やして発生したスモーク(石炭ガス)が気流に乗って日本までやってくるという話を聞いたことがある。それによって日本の中では、どれくらいの影響・変化が出ているのでしょうか? 酸性雨なども降らしていたりするのでしょうか?

 授業で話したことですが、冬から春にかけての季節風の強い時期には、明らかに中国東北部で消費された石炭に由来する酸性雨が降っているようです。

*鉱山を掘って煙害などの被害が出ても、エネルギーを求める人間はすごい欲が深いなと思いました。

 当事者でなければ、便利さをすててまで環境保全に力を注げるでしょうか。もともと人間は欲の深い生き物で、戦後の消費社会はそのような欲望を是として進んできたようにも思います。

*鉱石を掘るにせよ何にしろ、行動を起こせば周囲に必ず影響を与えるんだな、と思った。

 そうです。あらかじめ予測し、対策を立てておくと同時に、予想外の影響に対しても迅速に対応しなくてはいけません。それが事業に関わるものの責任なのだと思います。

*燃料としての石炭と、公害原因としての石炭というジレンマが、話を聞いているうちにもどかしくなってきた。

 そうですね。ジレンマというのは常にあるように思います。それを直視する勇気が必要なのではないでしょうか。

*今まで日本史でしか習わなかった田中正造が、地学で登場し、異なる切り口から同じものが見れておもしろかった。

 科目の枠にかかわらず、我々がきちんと知っておくべきことというのはあるような気がします。地学というのは、もともと発展する可能性を広く持っている学問ですし。僕自身も、田中正造関連の資料を集めて、調べておかなくてはいけませんね。

 

足尾銅山

*小学校の頃、足尾銅山に行きました。確かに、まだまだハゲ山でした。はやく、緑が戻って欲しいです。

 緑化のための努力は続けられているはずです。足尾での取り組みを調べてみても、日立との比較の上で、僕はおもしろいテーマだと思っています。

*今年の6月に足尾に行って来ました。日本の公害の原点ということでしたので。廃墟でした。高い煙突を立てたところは大和魂…?

 そうですね。逆に煙害の拡散につながる可能性も指摘されていて、これで失敗したら鉱山経営が危機に陥るというので、反対論も強かったようです。最後は社長の久原房之助の決断で実施されましたが、高い煙突のアイデアそのものは、いくつか起源があるようです。

*はげ山ってことは、その回りは危険なのだろうかと思った。足尾銅山など昔行ったが、そこの土でも食べたら今の私はどうなっていたのだろうか。

 斜面崩壊や、土砂の流出、山火事の頻発などにつながり、危険です。また、近隣の農業被害が大きく、その補償金を鉱山側はきちんきちんと支払っていたのですが(これ自体、当時としてはすごいことですが)、補償金だけもらって生活するというわけには行かず、住民の健康問題もあり、はげ山の向こうには多くの問題が隠れています。

 土を食ったからといって、すぐに病気になったりするものではありません。問題になるのは、水を通じて汚染物質が運び出され、生物(動植物)によって濃縮され、それを食べて、汚染物質が我々の体の中で蓄積されることで問題が起きます。この場合の汚染物質は、各種重金属やカドミウムなどだと思いますが。

 

日立鉱山の大煙突(画像で紹介)

*木造の塔で350mもあるものは驚いた。しかも昔の技術で建てたのだからすごいと思った。

 煙突をつくるのに、木でやぐらをくんだのですが、その高さは155mほどです。建てた場所が、340mほどの山の上で、合計で煙突の頂部は490mあまりの標高になりました。実は煙突の西側に598mの山があり、それよりも低いので煙突の効果が危ぶまれたのですが、事前の1年以上の高層気象観測でこの高さで十分であると判断したようです。シュロ縄を買い占めたのだそうですが、それと木材だけで組み上げて作り上げたのだから、たいしたものですね。なお、次の煙突工事(佐賀関)の際には、外側にやぐらを組むのではなく、煙突の内側からつくる方法にしたそうです。

*日立鉱山の煙突がすごかった。

*日立鉱山ほどの環境対策をしている企業は、現在あるんでしょうかね? 現在ならともかく、明治・大正期にこれほどの環境配慮をすることはすごいですね。見習いたいものです。

 「日立鉱山史」に誇らしげに書いてありますね。でも、評価すべきだと思います。こういう取り組みがあったことを知ることも、大事なことではないかと思います。

*木のやぐらはすごい。給料上がっても昇りたくない。

 気持ちはわかりますけどね。周辺の村から、おばちゃんが臨時雇いでずいぶん働きに来たみたいです。完成の記念写真にたくさん写っています。

 

VTRから(「知そして未来へ」「資源の原動力」)

*水銀ってさわってはいけないと思っていましたが、ビデオの人がおもいっきりさわっていたのでビビった。

 さわるだけではそれほど怖くないのですが、蒸気で吸ったりするのは良くないみたいですね。

*映像の中で水銀を川の中へそのまま流しているのを見てとても驚かされた。

 あの映像はよく撮ったと思います。実は、あの場面は「水銀を流すことが、そんなに問題だとは思わないな」というセリフも入っているのです。学ぶことは必要ですね。

*ビデオを見て人間は罪だなあと感じた。

 他人事ではなくて、電気を使うたびに、車に乗るたびに、トイレットペーパーを使うたびに、環境の悪化に我々は手を貸していることになります。モノに対する執着をそろそろ断ち切らなくてはいけないのかもしれません。

*「知、そして未来へ」のVTR、とりはだがたちました! 今の学校(環境の方)に入学する決意をしたときの志を思い出しました…。

 環境情報の人にそう思ってもらえたらうれしいですね。

*今日はVTRがおもしろくなかったです。

 どこがどう面白くなかったのか、どうすれば面白くなるのか、それを書いてくださらないと、授業を改善するヒントにはなりません。ぜひ書いて欲しいものです。

*現在の抱える問題のVTRで、“これらの問題について考えなければならない”などと言っているが、それだけでは見てる側の意識は変わらないし、変わったとしても何か行動を起こすかというと、そこまではしなく、なかなか行動に移すのは難しいと思う。考えさせるだけでなく行動を起こさせるVTRを作ってほしい。

 どういう行動を起こさせるVTRにすればいいのでしょうか。言いたいことはわかるつもりですが、「進むべき方向を見失うという新たな危険」に直面している現在、どのような行動を起こせばいいのかを、まず考えなくてはいけないのではないでしょうか。グリーンピースみたいなのを推奨する気にはならないし。歴史を振り返ると、その場限りの問題解決は、かならずしっぺ返しを食っているのです。

*まとめて地球の環境破壊の映像を見ると、あまりのひどさにこわくなってきた。

 ああいうネガティブな側面をまとめてみせる意図は、これらを知らずに済ませてはいけない、僕らに何ができるか、少しずつ考えていこう、ということです。

*「百聞は一見に如かず」という言葉があるが、まさにその言葉が現場に出る大切さに当てはまるのではないかと思った。確かにITは便利であるし、私もよく利用するが、実際に見た、触れた感動は伝わらないのである。なので、私も先生の意見には賛成で、実際に現場に出ることは大切だと思った。今回のVTRは教育用というより、完全なドキュメンタリーといった感じで、ダイナミックな自然がより伝わってきてよかった。

 現場に出て、見たり考えたりしよう、ということを、実際の問題に直面したときに君たちが思い出してくれたらいいな、と思っています。

VTRの中で月でもヘリウムが地下資源として採取できると言っていたが、地球で採れるヘリウムと全く同一のものなのですか? 月と地球では環境が違うので、同じヘリウムがとれるのが不思議に思ったので。

 いい質問ですね。同じではなくて、月には太陽風でヘリウム原子がかなり供給されていますが、ヘリウムの同位体の割合が違うようです。核融合に使うヘリウム3が多いのだそうで、それが資源として重要な理由でもあるらしいです。

*文明のVTRは流れがわかりにくかった。

 これは鋭い指摘ですね。実は、最初と最後だけは構成が固まったのですが、中間の、現代文明の負の遺産などは、整理ができないまま時間切れで組み上げてしまったので、あまり論理的になっていません。反省しています。

*アマゾンの熱帯雨林が年々破壊されているのは知っていたが、予想以上だったのでおどろいた。

*最初のビデオを見て、森林伐採など、人間がどれだけ地球を壊したかがわかった。もっと地球の美しいままの姿を残していくべきだと思った。また、地球には未だ解明されていないものが多いのでは?と思いました。

 地球の様々な謎を読み解いていくのは、とても面白くやりがいのあることだと思っています。解明されていないことだらけです。ですから、まだまだ人間は知らなくてはいけないし、わからないことがたくさんあることを認めるべきでしょう。

 

*小学校の頃、水銀をさわると死ぬっていううわさがあったんですけど本当ですか?

 触るくらいでは死なないでしょう。僕は水銀に指をつっこみましたが、生きています。水銀で毒性が強いのは、有機水銀といって、化合物になったものが危険です。単体の水銀も決して健康には良くないのですが、継続して体内に摂取するようなことがなければ、それほど気に病むことはありません。

*ちょっと前まで歯医者では水銀を歯につめていたと聞いてビックリした。

 今でも使っていないかな。アマルガムのことですけれど。

 

*植物が石炭にかわるとは具体的にどういうことなのですか?

 植物体は、C,H,O,N,Sなどの化合物であるわけですが、地層に埋もれて、熱と圧力を受けながら、炭素以外の成分が抜けていき、より炭素の割合が大きくなっていくのが、石炭形成のプロセスです。ですから、品質の良い石炭というのは炭素の割合が大きいといえます。

*鹿児島県の菱刈が世界でも有数な鉱山だということを知りませんでした。自分は鹿児島県出身なのに。

 ぜひ覚えておいてください。鹿児島は金の鉱山が多いですね。

*なぜ日本では鉄がとれないのですか? 地殻・マグマ・プレートなどに関係があるのですか?

 前期の授業や、後期前半でも扱っているのですが、20億年前より昔の海では、大気や海洋中に酸素が少なかったために、鉄が2価のイオンとして大量に溶けていました。それが光合成で放出された酸素により酸化され、水に溶けにくい3価の鉄になり、沈澱し、大量の縞状鉄鉱が形成されました。それが主要な鉄鉱石になっています。酸素が多くなった時代には、このような沈澱は起きず、日本も新しい時代にできたので縞状鉄鉱がないのです。

*江戸時代ぐらいの小判は金だったが、その時代に使われていた小判はどうなっているのか。たまに、資料館などで見かけるが、それほど多くを見ることができない。

 面白い質問ですね。貨幣は発行者が回収もしていて、古くなった貨幣は鋳つぶして、新たな貨幣の材料にされるのが普通です。つまり、明治時代の金貨の材料などに使われてしまったものが大半であろう、ということと、外国との取引で、特に幕末に銀と金の交換レートが日本は諸外国に比べて甘かったために、日本側の支払いが金、外国の支払いが銀という形で金の流出が起きましたから、その際に失われた分も多かったかもしれません。

*資源がまったくなくなったら地球はどうなっちゃいますか。

 「資源」というのは具体的に何を想定していますか? それによって答えが異なります。人間も水も空気も資源だと言いますが。

*石炭、石油は、人間にとってすごく便利にしてくれるけど、その分、人間に対してやっぱり後々に悪い影響が出てる。でも、それもしょうがないことかもと思ってしまった。

 これまでの分は、どうしようもない。これからの分は、我々の責任です。それをどうするか、です。僕は、あとの世代に恨まれたくないですけどね。

*石炭や石油が複雑なプロセスで生産されることがわかった。今、世界は森林を壊し、石油などの資源も底をつく程になってきている。今のことだけ考えるのではなく、未来の地球を考え、資源を無駄にしてはいけない。

 生物資源を含めて、太陽からのエネルギーの利用が、これからの鍵になるでしょう。石油などは、できるだけどうしても必要なところにだけ使うようにしたいですね。

*石油が有機物からできているのにビックリ。

*金鉱脈で金はカタマリになっているようには見えない。けれど、金を川で採るときは、キレイに光っているのはどうしてですか?

 いい質問ですね。VTRでは説明が不足だったと思います。金鉱脈の金は、微細なものが多いのですが、金は水に溶けず、風化に強いので、岩石が風化されてもそこに残ります。そして水と共に運ばれて行く途中で、他の金の粒子とくっついて、成長していきます。そのために砂金の粒ができます。砂金の多いところでは、砂金どうしがどんどんくっついていき、ナゲットという金の塊にまで成長する場合があります。

*石炭・石油はもう長くはもたないし、自然資源を使い切ってしまう前に早急に水素エンジンや、新たな技術の開発を進めていかないとまずいっスね。

 まあ、使う方の技術開発はもちろんですが、後始末の技術開発も進めて欲しいです。それは企業というより、国の責任かな。でも、企業も自分の経済活動の後始末には責任を持って欲しいものです。(たとえば日立鉱山のように)

*資源ができるには地球のいろいろなことがからみあってつくりだされていることはすごい。

 そうなんです。知れば知るほどびっくりしますね。面白いです。

*石油のできかたがわかっていても、人間は石油をつくることができないのですか?

 人工的な石油をつくるのに、電気を使ったり、自動車を使ったりすれば、つくる以上の石油を消費することになれば意味がないでしょう。でも、燃料用作物を栽培して、それを収穫してアルコールをつくり、燃料として使う計画はあり、実験的には実現しています。この場合、化石燃料を使わないので、大気中の二酸化炭素量は増えません。

*地球の資源は大切にしなくちゃいけないなと考えさせられました。

 そうですな。それは我々と、我々のあとの世代の生活を守ることでもありますし。

*資源は大事にしていくべきだと思いました。また、新たな資源も見つけていかなければいけないのでは…。

 そうですね。まあ、儲かる限りは、新たな資源の開発は企業ベースで進むのですが、後始末の方は、なかなか採算がとれないのです。そうなると、行政なり、市民運動でもないと、なかなか難しい。

 

回覧標本(硫化鉱物各種)について

*方鉛鉱はきれいだと思う。黄鉄鉱は鉛みたい。

 方鉛鉱は、ちょっとさびていたかな。すみません。

*鉱物ひとつしか見てない。見せてー!

 駒場の自然科学博物館に来れば、いくらでも見せてあげられるのですが…。

*石(本物)を見てると楽しいかも…。

 僕は楽しい。

*高校のとき、化学は実験が多い学校だったのでいろいろやったことを思い出した。鉱物についても、そのときいろいろ見たけど、はじめてのものもあったり、歴史と関連づいた話がきけてたのしかった。

 それは良かったですね。昔、博物という科目があったのだけど、地学の講義は、そういう時間にしてもいいな、と思うことがあります。

*黄銅鉱と黄鉄鉱は色が似ていた。Goldってかんじで。でも少し、黄銅鉱の方が黄色っぽかった。黄銅鉱のまわりについていたキレイな石はなんなんでしょうか??方鉛鉱は銀色で紫っぽい光を放って神秘的だった。

 直接説明しましたが、黄銅鉱の周りについていた、細い柱状結晶の集合体は、水晶(石英)です。

*黄鉄鉱はキラキラしていてなかなかキレイだった。

 

地学とは

*地学とは「地球を(知るべく、愛すべく、…etc.)学問」であることに気づいた!

 そうですね。地球をよく知ることが、地球を本当に愛する?ことにつながるのだと思います。愛すると言うには、対象が大きすぎて目眩がしますが。地球のしくみを学ぶことは、我々をよく知ることでもありますね。

*僕もいつか2千年後くらいに誰かのための燃料として役立てるのですか?

 燃料にするのは難しいです。生物量としては、陸上脊椎動物は、植物プランクトンや森林(石油や石炭のもと)に比べて非常に少ないので。化石になるのも難しいですが、まだその方が可能性は高いです。化石になるのでしたら、未来の人類学者や古生物学者を困らせないために、歯を大事にして、良い骨格を維持するようにしましょう。

*日本の地震国というのは、プレートのせいという理由がありますが、他の国で、地震国というのはどういうところがあるのですか。どことなく、地震国=アジアという気がします。

 環太平洋地域と、ヒマラヤからアルプスにかけての地域が多いでしょうか。主に、プレートの沈み込み帯や大陸衝突が起きている現場です。

*昔、小学生の頃、マクドナルドは焼き畑農業をやっているから食べるなという話を聞いたのを思い出しました。

 これはちょっと「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話ではないでしょうか。マクドナルドは、アメリカ流に牛肉を食べろという食文化の押しつけの一翼を担っている。そして、牧草地をつくるために森林を焼いているところがある。従って、マクドナルドは焼き畑で地球の森林を減らしている…というような。ちょっと行き過ぎだと思いますけどね。でも、我々の食生活がどんな影響を与えるか、考えるのにはヒントになるかもしれません。

199?年頃、環境問題(森林伐採)の事で、確かカリマンタン島という名前の島が有名であったと思うが、今はどうなっているのだろうか?

 インドネシアの島ですが、僕はその存在しか知りません。ぜひ調べてみてください。

 

我々は何ができるのか

*いつも思うのですが、地球の環境・資源を守るのに私たちは何が出来るのでしょうか? どうして人はわかっているのに気付かないふりをして地球をこわしていくのでしょうか? 本当におろかですね。

 環境破壊は、我々の豊かさの追求と密接に結びついているのだと思います。だから、なくならない。何が豊かさであるのか、それを考えないといけないですね。極端な例ですが、狂牛病におびえながら霜降り牛肉を毎日食べられることが豊かさなのか、それとも、自分の畑でとれた作物や、地域の露地物の野菜を中心にした食事が豊かなのか。江戸時代は、そういう食事でも、カロリーが足りていれば我々はあまり困らなかったわけですよね。価値観そのものを問われている気がします。

*地球の環境問題については、人間っていうのは頭が悪いもので、自分が実際にそういった問題に直面しないと考えないと思う。ほとんどの人が何か自分には関係のないものだと思っている人なんじゃないんですかね。

 そうですね。鋭い意見だと思います。少しずつ浸透していけばいいのですが。

*一人の人生がはじまって終わるまでの、ホントに短い間に人間のしてきた過ちは果てしなく重い。我々に何ができるか。

 何もしなければ、負債はふくれあがっていくばかりです。いまできることを、少しずつでもやらなければいけないのですが。君たち一人一人が、未来の負債を減らす可能性と責任を持っているのだと思っています。君たちがつくる都市空間や建築物の建設過程や、設計そのもので、わずかな工夫を積み重ねていってくれれば、結果がだいぶ違ってくると思います。

*人間がそうしちゃいけないとわかっていても、自然を破壊してしまうのは、生物の流れだから仕方ないと思ってしまう。

 人間が他の生物と違うところは、際限のない欲望の追求ではないかと思います。ふつうの生物の流れとは違うような気がします。絶滅に至ることがあれば、それは生物(進化)の掟だから仕方がないかもしれませんが。

*今起きている様々な問題は、当時わからなかったことが原因で問題になっている。だから当時わかっていたら使わなかった。例えば化学物質は当時無害だと思っていたのに、今は環境ホルモンで問題になっている。それは技術が進歩したからわかったことだし、いろんな意味で技術進歩はいろんなことをもたらす。いいのか悪いのか。

 これは難しい問題ですね。価値判断は難しい。でも、技術の進歩を捨てることはできないとすれば、このいたちごっこは続けていくしかないでしょう。

*最近いろんな環境問題がとりあげられて、いろんな対策がなされていますが、結局目先だけのように思います。見据えてやるなら、きっと今の生活を変える覚悟がいるのではと思いました。

 そうですね。日本は、不況だといっても、世界的に見れば充分すぎるほど豊かな国です。昔、石油ショックの時代に、省エネルギーが叫ばれ、実際に消費エネルギーが下がった時期があります。やればできるはずで、社会全体がその方向に向かうきっかけがあれば、可能なのだと思っています。とりあえず僕らには何ができるかな。

*水質汚染、大気汚染、酸性雨、地球温暖化など悪化する一方で、改善策はとられてきているが、あまり効果はない。先生の予想で地球はあと何年で丸坊主になると思いますか?

 丸坊主になるとは思いませんが、環境の悪化に関わるいろいろな問題は、あと50年以内にひとつのピークを迎えると思います。それまでにできるだけの対策をしておかないと。

*人類は地球誕生の歴史にくらべるとほんとにわずかであるのに、地球に与えた影響は相当なものである。人類はそのことを忘れないためにも、もっともっと知るためにも現地へ行き、自分の目で見て研究を続けて行かなければならないと思った。

 まあ、地学の講義だけでは、僕の伝えられることには限界があるのですが、野外実習の機械はありませんし、それに、考えようによっては、あとは君たちが自分で切り開いていく問題でもあると思います。頑張ってください。

*地球の生態を守るというのは良くわかるが、宇宙という範囲で見ると地球って何なんでしょうね?

 何なのでしょうね。ぼくもわかりません。恒星間旅行が可能になった頃など、いつか人類はそういう目で地球を振り返るようになるのでしょうけれども。

*環境には私たちひとりひとりの心がけが大事だと思った。

 そうですね。小さなことでも、積み重なると影響は大きいですからね。

*文明と環境問題は切っても切れない関係である。人は幸せな生活を送りたいがために文明を発達させるが、文明の発達によって環境問題が発生する。

 そういうことだと思います。一面だけをとりあげるのは正しい態度ではないといえるでしょう。政治家の公約なども、よく注意しないと、たいがい片方だけですよね。

*環境汚染の話などをきくと、これから先どうするのかと考えてしまいます。

 はい、考えていきましょう。

*現代には様々な公害があり、これからもずっと考えていかなければならない問題だと思った。

 君たちは、将来この種の問題解決に直接間接に関わる可能性があります。期待しています。

 

授業について

*今日の授業は、何か泣けてきました。今の自分の生活を見直すことと、開発的な建築が多い中で、地球のことを考えた、自然と共存できるような建築を学んでいきたいと思いました。日本が金の産出量世界一だったということには驚きました。資源には限りがあるので、人間の欲だけで考えるのではなく、1人1人が大切に考えて行かねばならない時代だということを実感しました。

 自然環境との調和をつくることは、非常に難しいことだと思いますが、ぜひ頑張って実現してください。小さなひとつひとつの建築物が、都市環境を形作っていくわけですし。

*世界中の銅や鉄などの地下資源が掘り尽くされた場合、日本の残された地下資源も、採算などを考えず利用されたりするのですか? 日本の鉱山の復活とか? もしそうなれば地質学の地位も再び見直されるのでは?

 価格が高騰すれば、採算が合わなくて放置されていた鉱床が再開発されることはありえます。日本も、太平洋戦争中には、輸入が限られために、国内のあちこちで鉱山が開発され、生産の増大が図られました。その過程では、強制労働者問題も生じたわけですが。でも、日本の地質は複雑で、根本的に大規模な鉱山開発には向いていないので、そういう意味では地質学の復権は難しいでしょうね。

*先生は無機物に興味があるって言ってたけど、先生の人間に対する考え方というか、人間についての分析がすごくて、尊敬したし、参考になりました。

 尊敬されてもなあ。人間のことはよくわかりません。でも、僕にとって回り道は財産になっていると思います。

*佐渡には何十回もいっているので砂金とり(ゴールドパーク)に行ったことがあります。が、はっきりいって少なすぎる・なかなか採れないのです。(あたりまえ) やっと見つけた!と思っても、黒雲母であって失望の連続です。やはりここには金山というものは過去のものとなってしまっている実感が強い。

 そうですね。砂金の粒も、自前の金ではなくて、買ってきたものを混ぜているようですし。でも、北海道では今でも天然の砂金がとれる川があって、そこでは自治体が主催して砂金取り大会を開いているそうです。

*鉱山にはいろんな歴史があるなあ、と思いました。

*鉱山での問題等、昔から、問題は絶えないと思った。

 ここでは紹介していない、いろいろな問題があるのです。時間さえあれば、そして現場に行って説明できれば、と思うのですが。興味があれば、調べてみてください。

 

*すみません。今年最後の授業なのに遅刻してしまいました。

 遅刻するのは損ですから、遅刻しないようにしましょう。僕も学部学生時代、けっこう遅刻しましたが、教官に注意されて気合いを入れてから、ほとんど遅刻しなくなりました。

*すいませんねてまして

 できるだけ寝ないでね。

*今日先生熱かった

 そうかな。そうだとすれば、いつも熱いんです。本当は。

*先生の性格と同じ優しいテストを期待してます。

 僕は優しいテストを出しますけれど、君ができるかどうかはわからない。頑張ってください。

 

要約例

*現代の消費型文明では、人類の成長の限界が見えている。現代文明の抱える課題に対して、何らかの対応をしていかなければならない。

回覧物として、硫化鉱物を見た。これらは、金属資源となる主な鉱物で、金属を取り出すために製錬をし、それにより、煙害(二酸化硫黄)が起きた。また鉱山により水質汚染も起きた。

 「人類の成長の限界」というのがちょっとわかりにくいです。硫化鉱物から、精錬の話、汚染の話をつながって理解してくれたのはうれしいですね。

*文明の背後には自然の大きな流れがある。自然を征服したと思いあがったり、表面的な豊かさをただ追い求めるのではなく、現状をしっかり把握し、これから先を見直す時期に来ている。

 日本の鉱山は掘り尽くされたか、競争力がないかでほとんど閉山したが、金の鉱山は少し残っている。温泉となるような地下の熱水が金を運んだ。

 減点できないなあ。うーん、完璧ではないと思いますが、よくポイントを押さえていると思います。

*文明の背後には必ず自然の流れがある。金の鉱脈は熱水により金が運ばれ、堆積してできた。製錬するときに出る煙や水質汚染により、さまざまな被害が出た。現在の日本はそれらに対する対策がされているので、被害は少なくなった。

 「堆積」は「沈澱」にしましょう。まあ、その通りですが、日本は良くても、金属資源を輸入する、その相手先の国では汚染はどうなっているのか、無関心であってはならない気がします。

*人類は現在までに大量の資源を消費し、資源の枯渇、水質汚染、オゾン層破壊等、様々な地球規模の問題を抱え込んでいる。この解決のためには、未来を知見する力、歪んでしまったバランスをただそうとする継続的な努力が必要である。

 そうですね。もうひとつは、消費型文明からの切り替えの必要性だと思っています。

*日本では鉱山業が盛んだったため、地質学は発展していた。だが、今日、最後の鉱山も閉じようとしている。

 あまり発展していたというのではなく、ある程度の需要があったというべきかな、と思います。むしろ、鉱山学の領域で、掘削技術などの方で発展があったと思うのですが。

*硫黄を燃やすとSO2が発生し、煙害や水質汚染が起こる。