プレート・テクトニクスの出現以後、日本列島の位置づけは、環太平洋の新生代変動帯(造山帯)というだけでなく、典型的なプレートの沈み込み帯のひとつとして認識されるようになった。プレート・テクトニクスの考えでは、海洋プレートは海嶺で生産され、両側に移動する過程で冷えて重くなり、海溝を通って地球内部に沈み込んでいく。沈み込む際にプレートとプレートの間ではいろいろな地質現象を起こす。
地震や火山もそのひとつだが、長い時間スケールで見ると付加という現象が起こる。プレートの移動によって沈み込み域まで運ばれてきた、沈み込む海洋地殻上の堆積物、時には海洋地殻自身や海山あるいは大陸片が、切れ切れの断片となって陸側から供給された堆積物に挟まれ、沈み込まれる側のプレート上の地殻に付け加わっているのである。近年の研究の進展によって、このような付加プロセスが、地殻をつくる上で重要なことがわかってきた。
日本には実はそのような過去のプレートの遺物がたくさんあり、日本の地質に記録された約3億年前(古生代後半)以降の歴史を読みとることは、プレートの沈み込み帯(=収束域)で起こるプロセスと歴史を理解するためにも、非常に重要なものとなっている。
日本列島には、約4.5億年前(古生代オルドヴィス紀)以降の地層が見られるが、いまのところ確実なカンブリア紀や先カンブリア代の地層は確認されていない。近年、微化石の研究によって、日本の地層のほとんどが3億年前より新しいものであることがわかった。それ以前の地層は、まとまった分布と言えるほどのものはなく、かなり限られた存在である。
地球の地殻40億年の歴史の中で、日本列島は非常に若い、3億年よりも新しい地層や岩石を主体として構成されていることになる。
鉱床という視点で見ても、日本列島のいたるところに、かつて存在した海洋地殻上の鉱産資源が、断片的ではあるが、海溝を通って地球内部に戻ってリサイクルされてしまわずに残っている。それがチャートに伴うマンガン鉱床
であり、別子などの硫化物鉱床であり、あるいは豊富な石灰岩資源なのである。
沈み込み帯の地球全体からみた重要な役割のひとつは、海洋の水を結晶中に水を含む鉱物のかたちでマントルに持ち込むことである。これは主に海嶺付近での熱水循環によって、海洋地殻の岩石に変質鉱物を生じる(このとき、熱水の出口には鉱床が形成される)か、あるいは沈み込むプレート上の堆積物に含まれるかの形をとる。この水のほとんどは地下のマントルの一定の深さ(100〜150km)で放出され、沈み込むゾーンの直上の、日本のような島弧地域でマグマをつくり、それを経由してまた地表に戻っていくのである。
このような、水を結晶内に含む鉱物には、100度〜300度の低温では沸石や緑泥石、蛇紋石 や雲母などの層状珪酸塩鉱物がある。さらに高温の条件では角閃石などが安定なものとして存在する。これらの鉱物がつくられ、分解されることが、地球内部に表層部の水を輸送することに貢献しているわけである。
含水鉱物の分解によって放出された水は、マントルの中を上昇して、ある深さで島弧マグマの形成に関与するものと考えられている。本来、島弧域では火山活動が起こる必然性はないのかも知れないが、マントル中に持ち込まれた水によって、マントルの岩石が融点降下を起こし、他よりも低温の条件でマグマをつくっている。マグマは上昇することで物質とともに熱を表層に運んでいるわけで、その意味では日本のような島弧(沈み込み帯)は、地球の強制排熱が現在行われている場所であるのかも知れない。
過去を遡っても日本には花崗岩が多いが、これは非常に水の多いマグマからつくられたと見られる。その詳しい成因には未解明の部分が多いものの、とりあえずプレートの沈み込みが何らかのかたちで関与していると思って良い。日本の花崗岩ペグマタイトに伴う鉱物は、沈み込むプレートのおかげでつくられたものとも言えるし、スカルンのように石灰岩と花崗岩のマグマが接触・反応してできたものは、まさに沈み込み地域ならではの現象と言えるかも知れない。
我々の住む大地は、長い時間のスケールで見ると、ゆっくりとではあるが常に変化し移動し続けているのであり、我々はたまたま陸上に露出してある期間安定した陸地を形作っているものの上で生活しているに過ぎない。日本が日本列島としての骨格をつくったのはたかだか1000万年ほど前であり、さらに数千万年ののちには、日本海が閉じて日本列島は再びユーラシアの一部になる可能性が高い。我々の住む大地は変幻自在の存在であり、今後も大きな変貌を続けていくことだろう。そういう意味では、白亜紀の日本列島とか、古生代の日本列島という発想は、あまりにも人間の都合を優先したものなのかも知れない。自然には自然の論理があり、人間の生活感覚とは異なるスケールを持った時間でものごとが推移しているのであろう。
大規模な鉄の鉱床をもたない日本では、砂鉄 は古くから日本刀の材料などに使われてきた。密度が大きく風化に強い鉱物は堆積物中に集まりやすく、これを目的に鉱床として開発される場合がある。最も普通なのは砂金の採掘である。これは金の密度が大きく、水にも溶けないので、岩石から分離した金の粒子が基盤岩の直上の砂礫中に集まるもので、また金には軟らかく互いにくっつきやすい性質があるため、ナゲットと呼ばれる金塊をつくることもまれにある。宝石の場合も同様で、インドのダイヤモンドは砂礫から集めるものであったという。ミャンマーのルビー、日本の糸魚川周辺のひすい
などもその例である。北海道の日高山地の蛇紋岩地帯を流れる河川には、砂金や砂白金が得られていて、かつてこれを採掘していたところもあった。大阪府・奈良県境の二上山付近では、ガーネット(ざくろ石)の濃集した砂
が川底から得られている。
地表での濃集プロセスとして、風化−堆積作用は重要である。可溶性の成分の溶脱、岩石の粉砕、比重による選鉱などの行程を自然が行ってくれる。その結果が、例えば砂金の鉱床であり、熱帯地域のボーキサイト
鉱床である。熱帯の高温多雨の気候下では、他の化学成分が溶脱して残ったアルミニウムや鉄分が、ボーキサイトやラテライトといった鉱床(風化残留鉱床)をつくる。現在の日本列島はほとんどが温帯域に属し、地表の岩石の風化でカオリン粘土(陶土として利用される)までしか風化は進行しないが、過去の温暖な地質時代には、日本でもこのような鉱床もつくられたらしい。香川県の第三紀中新世の溶岩の上面にできた、化石土壌中のボーキサイトを戦時中に採掘した記録がある。また、日本が日本列島という形を取るはるか以前の3億年前頃(古生代石炭紀)のラテライト質化石土壌が、北上・阿武隈・飛騨の各地域の変成岩・堆積岩中に残されていて、特殊な鉱物ができている。ここに展示しているクロリトイド岩
もそのひとつである。
日本には石灰岩が多い。日本の石灰岩は大陸にみられるような巨大な石灰岩体ではなく、多くの場合、地層の中にきれぎれに分布する、幅数百m、延長数kmという程度のものが多い。それでも日本で唯一自給できる地下資源なのである。東京近郊にもセメント用に採掘している石灰石鉱山(工業原料は石灰石と呼ぶ)が多数存在する。これらはなぜそこにあるのだろうか。
これらの石灰岩をよく調べてみると、ほとんどが古生代のもので、暖かい海に住む石灰質の殻を持つ生物(サンゴ、二枚貝、巻貝、有孔虫など)の遺骸が集まってできていることが、含まれている化石からわかる。石灰岩はサンゴ礁の化石と言ってもよい。これらは現在の場所で、遠い昔に生きていた生物達がつくったものなのだろうか。
世界地図を見てみると、サンゴ礁が発達しているのは、赤道をはさんで北緯30度から南緯30度の間に限られることがわかる。秩父の山中にある石灰岩は北緯36度のところにあり、かつてそこに海があってその場でつくられたとは思えない。
石灰岩の下には、玄武岩質の火山岩があり、この火山岩が記録している当時の地球磁場を測ってみると、じつはこれらの石灰岩は、古生代に赤道付近にあったものだということがわかる。つまり、地球の表面の都合で、何らかの方法で現在の位置に運ばれてきたものなのである。
近年の海底探査の結果、海嶺や背弧海盆で高温の熱水噴出孔が発見され、そこでの特異な生態系とともに話題になったのは記憶に新しい。地下や深海のような高圧下では、水は温度が100度を越えても沸騰せず、高温の熱水としてふるまうことができるが、温度が高いために各種のイオンを大量に溶け込ませることができる。また、かなりpHも低くなっている。このような熱水(温泉水)が海底に噴き出すと、0度近い水温とpH=7の中性の海水と混じることにより、それまで溶けていた金属イオンを、硫化物や硫酸塩などのかたちで急速に沈澱させる。
これが地層の中に保存されると、金属硫化物の鉱床になるわけである。黒鉱鉱床などの層状硫化物鉱床がこれにあたるものと考えられている。キースラーガーと呼ばれる変成岩中の含銅硫化鉄鉱床なども、本来はこのようにしてできたものであったと考えられている。
熱水が循環する地殻の岩石の性質を反映して、この沈澱物の組成は場所によって変化する。例えば沖縄トラフでは比較的鉛が多いが、東太平洋海膨では少ない。これは沖縄トラフでは鉛の含有量の多い花崗岩質の岩石(大陸地殻)中を熱水が循環するためと考えられる。海洋地殻の玄武岩やはんれい岩では鉛の含有量がけた違いに少ないのである。
奥多摩や秩父の山々には、チャート(chert)と呼ばれる、石英と同じ珪酸(SiO2)を主成分とする岩石があちこちで見られる。これは非常に風化に強い、固い岩石なので地形的なピークをつくっているし、近代まで火打ち石の材料にされたり、古くは石器時代に打製石器の材料としてもつかわれていて、鏃などに加工したものが東京都下の遺跡でも出土している。
このチャートという岩石の成因はずっと謎であったが、最近になってチャートのほとんどは、珪酸でできた放散虫の殻や、カイメンの骨針といった生物の遺骸が集まってできたことがわかってきた。チャートは日本国内のあちこちに分布し、時代もさまざまであるが、多くは2.7-1億年前のものであることもわかってきた。
このチャートに伴って、層状マンガン鉱床が存在することが古くから知られていて、日本のあちこちで採掘されていた。ピンク色の美しいバラ輝石 やテフロ石といった鉱物が主要な鉱物であるが、日本で初めて発見・報告・命名されたものも数多い。(かなりのものが本学総合研究資料館に展示・収蔵されている)
マンガン鉱床を含むチャートが変成岩になると、マンガンの多いざくろ石などとともに、紅簾石という紅色柱状の鉱物をつくることがある。秩父の長瀞のもの(紅簾石片岩)は、本学地質学教室の初代日本人教授・小籐文次郎が、紅簾石が変成岩に産することをここで初めて発見し報告したので有名な岩石であり、天然記念物に指定されている。
黒鉱は、秋田県などの日本海側の新第三紀の海の地層にみられる、層状の硫化物鉱床に特徴的に見られる鉱石である。Kurokoとして世界に通用する日本語による鉱石名であるが、単一の鉱物ではなく、微細な黄鉄鉱 ・黄銅鉱 ・閃亜鉛鉱 ・方鉛鉱 などの集合体である。
これと同様な鉱石は沖縄トラフの熱水噴出孔の周囲に形成されつつあるのが近年発見された。また黒鉱鉱石のなかに、熱水噴出孔で見られるのと同じような、中空の煙突(chimny)様の鉱石が発見されて、両者の成因的な結びつきが明らかになってきている。
海水中での沈澱物であるために、鉱体の周囲に海水からの沈澱物らしい重晶石や石膏などの硫酸塩鉱物、あるいは方解石なども大きな結晶として産出している。
鉱石の枯渇と円高による製品競争力の低下などで、次々に閉山したために、現在これを採掘している鉱山はほとんどない。